2021年8月12日の新聞で標題のニュースが流れていました。
歴史的なファクトとして記憶に留めるためブログを作成しました。
見つかった文書は死刑執行を指示したマッカーサー元帥に宛てた文書でタイトルは
「囚人の処刑」、日付は昭和23年(1948)12月30日。作成者は巣鴨プリズンを管理した米第8軍。
12月30日付で日本大学生産工学部の高澤弘明専任講師(法学)が米国 国立公文書館で入手したものです。
刑執行の手順書はこれまでに発見されていたが、執行完了の報告書は確認されていなかった。
専門家によると、今回の発見でA級戦犯の処刑を巡る主な公文書が出そろったことになる。
刑執行の手順書と遺骨の太平洋上への散骨については下記ブログで記載。
A級戦犯の遺骨、太平洋に散骨 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
上の写真は1948年(昭和23年)12月23日、東条英機元首相らA級戦犯7人の棺を
載せた米軍のトラックが横浜市の火葬場に向けて巣鴨プリズンを出発するところ。
出典:共同通信社
処刑は1948年12月23日午前0時1分に巣鴨プリズンで始まり「効率的な方法と軍隊的な
正確さで執行した。予期せぬ出来事は起きなかった。秘密は終始、守られた」と記載。
文書には処刑に関わった全員の実名も記載。執行部隊の一員として、A級戦犯の遺骨を
太平洋に散骨した米軍将校の名前も明記されていた。証人として巣鴨プリズン所長ら
米軍人4人と、連合国の占領機関「対日理事会」の各国代表4人の計8名が立ち会った
ことも判明。日本国内で戦死した米兵らを埋葬する際に使用する報告書に処刑後に
採取したとみられるA級戦犯の指紋が押された死亡記録も見つかった。
上記文書と死亡記録については下記サイト(西日本新聞)で見れます。
マッカーサー元帥宛てにA級戦犯の死刑執行を報告した米軍の公文書(日本大生産工学部の高澤弘明専任講師提供、米国立公文書館新館所蔵) 写真|【西日本新聞me】 (nishinippon.co.jp)
極東国際軍事裁判(東京裁判)
上の写真は東京裁判(昭和21年(1946)5月3日)の法廷内のA級戦犯に問われた
東条英機ら戦争指導者と裁判官など東京裁判の様子。
出典:NHKBS3 映像の世紀(11)「JAPAN~世界が見た明治・大正・昭和」
2021-6-7再放送で視聴
東京裁判(極東国際軍事裁判)は昭和21年(1946)5月3日に開廷され昭和23年
(1948)11月12日に終了するまで審尋されています。
A級戦犯 絞首刑(死刑) 7名のリスト
板垣征四郎:昭和6年(1931)9月18日、
関東軍参謀の石原莞爾(かんじ)と
奉天郊外柳条湖で満鉄の線路を
爆破(満州事変を扇動の罪)
木村兵太郎:ビルマ方面軍司令官、
東条内閣陸軍次官、(英国に対する開戦の罪)
東条英機 :第40代内閣総理大臣、(真珠湾攻撃の罪)
土肥原賢二:奉天特務機関長、第12方面軍司令官(中国侵略の罪)
広田弘毅 :文民 外務大臣及び総理大臣として
軍部の行動を阻止できなかった。
松井石根 :南京虐殺(数十万人)の最高責任者
平和に対する罪では無罪
武藤章 :東条の腹心、第14方面軍参謀長(フィリピン)、(一部捕虜虐待の罪)