2022年5月18日、船場本徳寺から大蔵前公園の姫路藩勤王志士終焉の地 記念碑を
目指して歩いている途中、表題の「姫路城 備前門橋跡」を見つけましたので写真紹介します。
上の2枚の写真が姫路城 備前門橋跡と現地説明板です。
橋の礎石と延石のレプリカが展示されています。
出土したものは劣化しないよう地下1mに埋戻した、とのこと。
上の3枚の写真は備前門橋跡のレプリカの右手の説明版です。
姫路城絵巻(部分)には左端の下方に備前門橋が描かれています。
上に添付の平成28年3月に姫路市教育委員会作成の説明版によれば
「備前門橋」名前の由来はここから備前(岡山)へ向かった。
上の写真は現在の地図の上の姫路城の門の位置を示したものです。
出典:姫路市立城郭研究室 「姫路城絵図集」(2014) Page69
兵庫県文化財調査報告 第489冊 「姫路城下町跡」副書名 : (都)船場川線街路整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書(2017)に
発掘調査の詳しい状況が報告されていますので関連事項を引用紹介します。
上の写真は南区の調査区全域写真
上の写真は備前橋の延石、礎石、見切り石の出土状況
上の2枚の写真は江戸時代の絵図に描かれた備前門橋
発掘調査の結果、備前門橋の幅は3間(5.4m)の木橋であったと断定。
上の写真は現地指導を行った広島大学の三橋正幸教授の評価
上の写真は御着城跡に残る天川橋と現地説明板(備前門橋の参考として紹介)
天川橋については2013年7月27日に訪問して下記ブログを書いています。
JR御着駅周辺散策記 その4 復元された天川橋 on 2013-7-27 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
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