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住吉宮町遺跡の概要 現地説明会(終了)案内と過去の調査結果概略

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神戸市東灘区の住吉宮町7丁目にある住吉宮町遺跡の発掘調査の現地説明会と見学会が

2022年7月30日(土)に開催されました。

今回、現地説明会のある場所は住吉幼稚園の跡地で「だんじり会館等」建設予定地です。

現在、だんじり資料館は東灘図書館内にあり、だんじりの実物展示やだんじりの歴史や

住吉地区の各だんじりの紹介、祭衣装の法被などが展示されています。

 

私は当日、兵庫県立考古博物館の講演会があり出席した為、参加できませんでしたが

今後、現場説明会の資料を入手してレビューしたいと考えています。

本ブログでは住吉宮町遺跡の概要と今回の発掘調査についても概要を纏めてみました。

さらに過去56回以上行われている調査結果から数回分の概略を記しました。

住吉宮町遺跡の概要

住吉宮町遺跡は六甲山系より流れ出る住吉川と石屋川によって形成された複合扇状地上に

位置しています。標高は約20m。JR住吉駅周辺、兵庫県神戸市東灘区住吉宮町

3・4・5・6・7丁目、住吉本町1・2丁目、住吉東町4・5丁目にわたって所在しています。

遺跡の規模は東西約800m、南北約600mの範囲と推定されます。

昭和60年(1985)の発見ののち、昨年までに56回の発掘調査が実施されています。

弥生時代の周溝墓や竪穴住居、古墳時代の約80基に及ぶ古墳や洪水痕跡、

竪穴建物、奈良時代の掘立柱建物や井戸などが検出されてきました。

5世紀初頭に造営が始まり、6世紀の前半にかけて100基を超える墳墓が確認されています。

古墳群の大部分が、一辺10m程度の方墳ですが、なかには全長約55mの前方後円墳

である坊ケ塚古墳や全長24mの帆立貝式古墳である住吉東古墳など、この地域の首長

クラスの人物が埋葬されていたと考えられる古墳も見つかっています。

坊ケ塚古墳や住吉東古墳、その他複数の方墳では古墳の表面に葺石を設置しています。

また、住吉東古墳やいくつかの方墳では人物埴輪、馬形埴輪、円筒埴輪などの埴輪も

出土しています。

上の写真は第52次調査までの発掘調査の場所を示したものです。

出典:神戸市教育委員会編 神戸の古墳Ⅱ(2017)Page6



上の写真はWikipediaからのコピーで住吉宮町遺跡第32次調査までの発掘された
場所が示されています。数字は調査の次数です。

上の写真は第51次調査までの調査地点と今回、現場説明会のあった場所を示したもの

出典:神戸市教育委員会編 第50次調査報告書 2014年3月

上の写真は住吉宮町遺跡と周辺の遺跡分布図

出典:神戸市教育委員会編 第50次調査報告書 2014年3月


上の写真は天明8年(1788)刊行と推定されている「住吉村絵図」です。
本住吉神社の他に阿弥陀寺、薬師堂、坊ケ塚古墳などが描かれています。

第57次調査?の現場説明会

神戸市東灘区住吉宮町7丁目2番6号(旧:神戸市立住吉幼稚園)

上の写真はGoogleの地図の発掘調査現場を示したものです。

開催日時:令和4年(2022)7月30日(土曜日)13時30分~15時00分

神戸市のサイトより調査結果の結果を引用紹介します。

(多分リンク切れになるので記憶に留める目的で転記しました)

2022年7月29日の神戸新聞 神戸版でも「計画的に整備か 古墳7基を発見」という

見出しで住吉宮町の現地説明会について調査結果の概要も含め報道されています。

概要は下記サイト。

 洪水で埋まった古墳群発見 30日に現地説明会 住吉宮町遺跡|東灘話題|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)

5世紀後半~6世紀後半の古墳群と飛鳥~奈良時代、鎌倉時代の集落を検出しました。

今回の現地説明会で公開するのは、古墳時代の遺構面(いこうめん)です。約650平方メートルの調査区に6世紀の洪水砂(こうずいさ)に覆われた状態で7基の古墳とそれに関連する遺構を検出しました。その委細は、以下の通りです。

①_平面形が一辺6m程度の5世紀の方墳(葺石あり)1基
②_平面形が一辺6m程度の6世紀前半の方墳(葺石あり)1基
③_平面形が一辺16m程度の6世紀前半の2段築盛の方墳(葺石あり)2基
④_詳細不明の6世紀前半の方墳(葺石あり)1基
⑤_平面形が一辺3mと6m程度の6世紀後半と推測される方形低墳丘2基
⑥_⑤の古墳を築造する際の整地面(せいちめん)

また、今回検出した古墳には、葺石(ふきいし)が施され、墳丘上に埴輪を設置し、古墳に埋葬されていた人物を安置する主体部(しゅたいぶ)なども確認されています。

特筆すべきは、6世紀後半に広範囲に整地を行い、墓域が整備されている事です。それ以前に築かれていた古墳を壊さず整地し、その整地面を利用して、方形低墳丘(ほうけいていふんきゅう)を築造しています。後代の古墳が先代の古墳と重複しないよう計画的に造墓(ぞうぼ)されていたとみられます。

方形低墳丘については、古墳を簡略化したものか、未完成の古墳なのかは、今後の調査にもよりますが、古墳時代の遺構面より上層で検出している飛鳥時代~奈良時代の遺構面では、官衙関連遺構や建物を多数確認していることから、この地に根付いた勢力が7世紀以降も連綿と続いていたことが伺えます。

2021年4月24日(土)に実施された現地説明会

第56次調査の現地説明会について見られた方のサイトがありましたのでリンク

させていただきます。

 【神戸市東灘区】感動!『住吉宮町遺跡発掘』現地説明会に参加してきました。JR住吉駅近くで、5世紀の円墳?前方後円墳?古墳が発見されました♪ | 号外NET 神戸市灘区・東灘区 (goguynet.jp)

約18mの円墳あるいは前方後円墳もしくは帆立型古墳の一部分(4分の1)が出土

出土土器から5世紀前半の造成されたと思われる古墳(1号墳 SZ301)

箱式石棺(ST301)も出土しています。

6世紀に繰り返し発生した古住吉川の大洪水で古墳が埋まってしまった為、築造当時の

原形がそのまま出土しており貴重なデータが集積されてきています。

第56次調査現地説明会(2021年4月24日実施)資料は下記サイトで見れます

 住吉宮町56 現説資料①(表)【再稿0419渡し】 (kobe.lg.jp)

住吉東古墳

JR住吉駅の南側にはにわ広場があり住吉東古墳について説明されています。

関連事項も含めて記述していきます。

第9次調査 昭和63年(1988)3,200㎡の発掘調査が行われました。

住吉東古墳の他に弥生時代末の周溝墓、方墳6基、竪穴住居17棟、奈良時代の掘立柱建物9棟

が出土しています。

はには広場の南側のシーア駐車場では帆立貝のような形をした古墳が発見され
住吉東古墳と命名されました。
昭和63年度の発掘調査の結果、全長約24mの帆立貝式古墳であることがわかりました。
墳丘の周囲に円筒埴輪が多数出土しました。立て並べられていたと考えられます。
出土品は馬形埴輪1点、家形埴輪1点・人物埴輪3点・円筒埴輪約160点・
朝顔形埴輪約10点です。
馬形埴輪は、鞍や馬具の表現から乗馬用の馬を表していると考えられます。



上の写真はハニワ広場の住吉東古墳に関する説明パネル。


住吉宮町遺跡はJR住吉駅周辺にある古墳時代中期から後期のもので70基以上の
古墳と竪穴式住居群が近接して造られています。
上の写真は住吉東古墳の埴輪が出土した時の写真です。
(平成24年4月14日から平成24年6月3日の神戸市埋蔵文化財センター
春の企画展「古代の神戸」で展示の写真)


上の写真は神戸市埋蔵文化財センターの常設展示の住吉東古墳の埴輪


上の写真は神戸市埋蔵文化財センターの収蔵庫、住吉宮町遺跡の埴輪展示。





上の写真は馬形埴輪(住吉宮町遺跡、住吉東古墳)左手の2点

出典:神戸市埋蔵文化財センター2017年春季企画展「発見! 遺跡のどうぶつたち」





上の写真ハニワ広場のハニワの展示。
上述のように住吉東古墳から大量の埴輪が出土しています。


上の写真は「住吉東古墳築造とまつり」をテーマとした説明パネル

第24次調査

現地説明会(平成24年4月20日)の資料は奈文研のデータベースで見れます。

 平成9・10年度神戸市遺跡現地説明会資料集

 

第32次調査

第32次調査は住吉宮町4丁目で平成10年(1998)、3,260㎡を調査した結果

弥生後期竪穴住居跡6棟、方墳9基、円墳1基、箱式石棺9基

下記サイトで紹介されています。

 住吉宮町遺跡 (zero-city.com)



上の写真は神戸市埋蔵文化財2017年春季企画展「発見! 遺跡のどうぶつたち」

「動物と働く」の展示。

32次調査1号墳と住吉宮町遺跡で長年飼われていた馬が埋葬される推測図。

32次調査では5世紀中葉の1号墳の北周溝から殉殺された馬の歯が出土(上の写真)」

出典:神戸市教育委員会編 神戸の古墳Ⅱ(2017)Page7

上の写真は住吉宮町遺跡の1号墳から10号墳までの配置図

第37次調査

 資料は奈文研のデータベースで見れます。

  住吉宮町遺跡第37次調査発掘調査報告書 - 全国遺跡報告総覧 (nabunken.go.jp)

第52次調査

第52次調査では住吉川の洪水によって築造直後に埋没した「埋没古墳」であり築造当時の様子が
そのまま残っている貴重なものである。

5世紀初頭の方墳が発見されました。二段築成の方墳からは100点を超える玉類、

青銅器や10点近い鉄製品、埴輪などが出土しています。

古墳群はこれまで考えられていた5世紀中葉でなく5世紀初頭に造墓が開始された

ことや、造墓集団はヤマト王権と密接な関係を持ち、王権の規定する身分秩序の

論理で、この地域を支配していたことが判明した。

以下は以前に書いた下記ブログから再掲しました。

 住吉宮町遺跡 第52次調査結果速報 on 2017-3-18 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)




上の2枚の写真は住吉宮町遺跡第52次調査地の全容を示したものです
調査期間:2016年12月20日~2017年2月17日
出土の埴輪の製作技法から古墳(方墳)は5世紀初頭に築造されたと判明しています。
調査発掘されたのは方墳全体の4分の一程度であるが東西16m、南北15m程度の2段築造の方墳
であることが判明しています。
(高さは1.6mが検出 削られた部分を約0.4m~1.4mとすると2m~3m程度か?)

主体部は床を省略した粘土槨+刳り貫き式木棺、東西方向に軸を持ち、東側が東部と推定


上の写真は葺石の状況と埴輪(7基確認)の出土状況


上の写真は南部テラスの埴輪列

出土品

 1.埴輪
  
  上の写真は7基出土のうちの3基

 2.棺内
  1)方格T字文鏡 1点
   
    上の写真は住吉宮町遺跡52次調査で出土の方格T字文鏡

   

   
   上の2枚の写真は方格T字文鏡に関する参考資料

  2)鉄製品 複数(鉄鏃、鉄斧)

   
   上の写真は鉄鏃(矢じり)

   
   上の写真は袋状鉄槍

  3)玉類
   
    上の写真は住吉宮町遺跡52次調査で出土の玉類の一部

 3.棺内

 
   上の写真は鉄剣または鉄槍

   棺の左側に2振 右側に1振
   いずれも副葬後に粘土で被覆されていたことから、木棺安置時に棺外祭祀を行い
   その後棺全体を粘土で覆うという埋葬儀礼の手順が復元できる


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