本日は書写山圓教寺 散策記シリーズの第6回として「境内諸堂(2)大講堂、常行堂、食堂」というテーマで書いていきます。
書寫山圓教寺への過去の訪問は下記の3回です。
1)2009年6月28日 (日)
2)2016年1月18日(月)
3)2023年1月18日 (水)
書写山圓教寺 散策記シリーズ過去の記事
第1回 書写山圓教寺での修正会 鬼追い会式 on 2023-1-18 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第2回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その2 書写山の名前の由来 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第3回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その3 伝和泉式部歌塚塔と圓教寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第4回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18他 その4 椎名鱗三文学碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第5回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その5 境内諸堂(1)奥の院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
大講堂
上の写真は大講堂の建物です圓教寺の本堂に当たる堂で、お経の講義や論議が行われる学問と修行の場。寛和2年(986)7月27日、花山法皇御幸、勅願をもって創建される。最初は四面檜皮葺き単層の建物であった。食堂、常行堂とともにコの字型に立ち並んで「三つの堂」 を構成しています。「三つの堂」でラストサムライの撮影が行われました。内陣には釈迦三尊像(中央が釈迦如来、右が文殊菩薩、左が普賢菩薩)が安置。貞永元年(1232)重層に造替。寛元3年(1245)重層修理。元徳3年(1331)3月5日、雷火のため焼失元弘2年(1332)3月2日、再建落成現在の堂は、墨書銘で下層が栄享12年(1440)上層が寛正3年(1462)元和8年(1622)本多忠政の助力を得て修理元禄10年(1697)大修理を実施昭和27年(1952)より大講堂解体に着手
上の写真は国の重要文化財に指定されている釈迦三尊像出典:重要文化財1 彫刻Ⅰ 文化庁監修 毎日新聞社(1972)Page 49上の写真は大講堂の現地説明板
常行堂上の2枚の写真が常行堂。後堀河天皇の勅願により寛喜元年(1229)10月15日に改造元徳3年(1331)3月5日、雷火のため焼失元弘2年(1332)再建天正18年(1590)中門大破し修理常行三昧をするための道場。建物は東を向いています。建物の構成は、方五間の大規模な東向きの常行堂。中央の張り出しは舞台となっており、その北側は楽屋。内部に本尊丈六阿弥陀如来坐像が安置されている。舞台は、大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納するためのもの。上の写真は常行堂の現地説明版が掲示されている場所建物内に阿弥陀如来像が安置されていると思われます。
上の写真は常行堂の現地説明板
食堂
上の写真は食堂の遠景(正面の建物が食堂) 撮影:2009-6-28上の写真は食堂の現地説明版付近
上の2枚の写真は食堂の2階の展示 撮影:2009-6-28
円教寺の「三つの堂」の一つとして中央に位置し、創建当時は教興坊と呼ばれていた。承安4年(1174)、後白河法皇の勅願により創建。寛元3年(1245)11月3日、後嵯峨天皇の勅願により俊源上人が2階13間に造替元徳3年(1331)3月5日、雷火のため焼失暦応元年(1338)から貞和4年(1348)までに再興慶長12年(1607)池田輝政の助力を得て修理
上の写真は食堂の現地説明板
最後に三つの堂の位置を示して筆を置きます
書寫山圓教寺への過去の訪問は下記の3回です。
1)2009年6月28日 (日)
2)2016年1月18日(月)
3)2023年1月18日 (水)
書写山圓教寺 散策記シリーズ過去の記事
第1回 書写山圓教寺での修正会 鬼追い会式 on 2023-1-18 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第2回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その2 書写山の名前の由来 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第3回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その3 伝和泉式部歌塚塔と圓教寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第4回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18他 その4 椎名鱗三文学碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第5回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その5 境内諸堂(1)奥の院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
大講堂
上の写真は大講堂の建物です圓教寺の本堂に当たる堂で、お経の講義や論議が行われる学問と修行の場。寛和2年(986)7月27日、花山法皇御幸、勅願をもって創建される。最初は四面檜皮葺き単層の建物であった。食堂、常行堂とともにコの字型に立ち並んで「三つの堂」 を構成しています。「三つの堂」でラストサムライの撮影が行われました。内陣には釈迦三尊像(中央が釈迦如来、右が文殊菩薩、左が普賢菩薩)が安置。貞永元年(1232)重層に造替。寛元3年(1245)重層修理。元徳3年(1331)3月5日、雷火のため焼失元弘2年(1332)3月2日、再建落成現在の堂は、墨書銘で下層が栄享12年(1440)上層が寛正3年(1462)元和8年(1622)本多忠政の助力を得て修理元禄10年(1697)大修理を実施昭和27年(1952)より大講堂解体に着手
上の写真は国の重要文化財に指定されている釈迦三尊像出典:重要文化財1 彫刻Ⅰ 文化庁監修 毎日新聞社(1972)Page 49上の写真は大講堂の現地説明板
常行堂上の2枚の写真が常行堂。後堀河天皇の勅願により寛喜元年(1229)10月15日に改造元徳3年(1331)3月5日、雷火のため焼失元弘2年(1332)再建天正18年(1590)中門大破し修理常行三昧をするための道場。建物は東を向いています。建物の構成は、方五間の大規模な東向きの常行堂。中央の張り出しは舞台となっており、その北側は楽屋。内部に本尊丈六阿弥陀如来坐像が安置されている。舞台は、大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納するためのもの。上の写真は常行堂の現地説明版が掲示されている場所建物内に阿弥陀如来像が安置されていると思われます。
上の写真は常行堂の現地説明板
食堂
上の写真は食堂の遠景(正面の建物が食堂) 撮影:2009-6-28上の写真は食堂の現地説明版付近
上の2枚の写真は食堂の2階の展示 撮影:2009-6-28
円教寺の「三つの堂」の一つとして中央に位置し、創建当時は教興坊と呼ばれていた。承安4年(1174)、後白河法皇の勅願により創建。寛元3年(1245)11月3日、後嵯峨天皇の勅願により俊源上人が2階13間に造替元徳3年(1331)3月5日、雷火のため焼失暦応元年(1338)から貞和4年(1348)までに再興慶長12年(1607)池田輝政の助力を得て修理
上の写真は食堂の現地説明板
最後に三つの堂の位置を示して筆を置きます