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淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その2 洲本城

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2022年11月4日、淡路島 洲本市街地を散策してきましたので写真紹介します。
本日はその第2回として洲本城を紹介します。
過去の訪問記 第1回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その1 洲本市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp) 


洲本城の基本情報住所:上の城  兵庫県洲本市小路谷(三熊山)    下の城 兵庫県洲本市山手一丁目 立地:三熊山頂の「上の城」と山麓「北の御殿」のある「下の城」   東西二条の「登石垣」で繋ぎ防御力を高めている。築城年代:16世紀前半(永正7年(1510)と大永6年(1526)の2説あり)築城者:安宅治興 主な改修者:脇坂氏(山城)・・総石垣の守りの堅い城に改修      蜂須賀至鎮(平城)・・寛永8年(1631)から4年を費やす 城主の推移:安宅氏、仙石氏、脇坂氏、藤堂氏、池田氏、蜂須賀氏別名:三熊城
天守台と模擬天守

上の2枚の写真は天守台と模擬天守
洲本城跡案内図


上の2枚の写真は洲本城の配置図と各名称
城内の写真
上の写真は右手が本丸跡、左手が南の丸上の写真は馬屋(月見台)上の写真は南の丸隅櫓跡上の写真は本丸東側の石垣上の写真は2お登勢の町すもと 三熊山本丸天守台と書かれた看板
上の写真は八王子木戸上の写真は八王子神社の入口

上の2枚の写真は少し下ったところにある八王子神社の拝殿
上の2枚の写真は昭和天皇の歌碑、表面と裏面昭和30年(1955)3月に建立されています。八王子木戸付近から東の丸へ行く途中で見つけました。
上の写真は東の丸の高石垣と東側の「登り石垣」 「登り石垣」は上下の城を繋ぐことで防御力を高めています。全国でも数例しかない珍しい遺構が良好な状態で保存されていることが評価され、
平成29年(2017)4月6日、続日本100名城に選定されています。上の写真は続日本100名城に行こうの本の表紙スタンプラリーのスタンプ帳がついています。洲本城はNo.164
本丸跡売店内のパネル展示上の写真は令和4年(2022)3月12日に行われた洲本城跡本丸売店プレオープンの式典の写真パネル


上の2枚の写真は洲本城跡「上の城と下の城について」の説明パネル上の写真は洲本城跡本丸付近の上空から写真
上の2枚の写真は「洲本城の見どころ」の説明パネル上の写真は甲冑の展示


上の3枚の写真は「淡路島の自然と三熊山」の説明パネル上の写真は続日本100名城「洲本城」No.164スタンプラリーの案内スタンプは下の城の「淡路文化史料館」でもらえます。
洲本城から洲本市市街地の景観


上の2枚の写真は洲本城からの洲本市市街地の眺望です。素晴らしい景色でした。

芝右衛門大明神

上の写真は芝右衛門大明神の祠幕にはあの有名な藤山寛美の名前が・・・昭和63年(1988)10月吉日奉納この祠は日本三大狸 の一つである芝右衛門狸が祀られています。
上の写真は「芝右衛門狸のおはなし」の現地説明板三熊山のてっぺんに柴右衛門と言う愛嬌者の狸が住んでいました。背の高さ六尺(1m80cm)あまり、お腹は大太鼓「みたいで、満月の夜など光輝く海へ向かって「ポンポコポンポコ」「ポンポコポン」と陽気に腹鼓を打つのでした。時には人間に化けて木の葉のお金で買物をしたり、いたずらもしましたが、夜道に迷った旅人の案内を引き受けるような人々に愛される狸でした。その頃、浪速(今の大阪市)でおもしろい芝居がかかっている事を聞き込んだ芝右衛門は、お手のものの変装をして、浪速行きの便船で、水の都、大阪へと乗り込んだのです。例の木の葉のお金で悠々と木戸を通り毎日毎日お芝居にうつつを抜かしていましたが、木戸番のおじさん達は、毎日木の葉がお金箱に入っているのを見て、「変だナア」と思いはじめ、狐か狸の仕業に違いないと思って、犬を三匹連れ、芝居はねる時を待ちました。何も気付かぬ芝右衛門は「アア今日も面白かった。浪速へ来た甲斐があった 淡路へ帰って皆の衆に話してやろう」とつぶやきながら出てくるところを、ついに犬に発見されてしまいました。洲本の人達は近頃聞こえなくなった芝右衛門の腹鼓に「芝右衛門は何処へ行ったのやろ」と心配しはじめました。その頃、大阪から来た行商人から何でも大阪の芝居小屋で大きな狸が犬に噛まれたそうな」という噂を聞き、それはきっとあの愛嬌物の芝右衛門に相違ない、と今は亡き芝右衛門を偲び悲しみながら、誰いうとなく「三熊山へ芝右衛門を祀ろう」ということになりました。そして何時誰が造ったのか土製のタヌキの芝右衛門が伝わり、今も洲本では焼物の芝右衛門狸がお土産店で巾を利かせています。当時の年号も定かではありませんが伝説のこの三熊山の狸芝右衛門のお話です。
大阪では下記のような話が残っています。洲本の芝右衛門狸は大阪中座に評判の芝居があると聞き、「三隈八兵衛」という侍に化けて木戸を通っていた。しかし、正体がばれて犬に噛み殺されてしまった。その後、なぜか観客が少なくなってしまった。芝右衛門の祟りと考えた関係者は奈落に祠を建てて祀ったところ、客足も戻り、大盛況となった。

祠は芝右衛門の里帰りとして昭和37年(1962)に片岡仁左衛門、藤山寛美といった大阪の芸能人たちが寄進して建てられた。お参りがしにくいという理由から現在の場所へ遷された。

柴右衛門狸は現在他に中座ビルの地下一階と一階のお狸様、故郷の洲本八幡神社、生國魂神社の源九郎稲荷神社(八兵衛大明神として合祀)、淡路島佐野の柴右衛門神社で祀られています。

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