本日は書写山圓教寺 散策記シリーズの第11回として「本多家墓所」
というテーマで書いていきます。
書寫山圓教寺への過去の訪問は下記の3回です。
1)2009年6月28日 (日)
2)2016年1月18日(月)
3)2023年1月18日 (水)
書写山圓教寺 散策記シリーズ過去の記事
第1回 書写山圓教寺での修正会 鬼追い会式 on 2023-1-18 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第2回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その2 書写山の名前の由来 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第3回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その3 伝和泉式部歌塚塔と圓教寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第4回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18他 その4 椎名鱗三文学碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第5回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その5 境内諸堂(1)奥の院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第6回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18他 その6 境内諸堂(2)大講堂、常行堂、食堂 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第7回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18他 その7 境内諸堂(3)魔尼殿 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第8回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その8 境内諸堂(4)法華堂、鐘楼ほか - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第9回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18他 その9 境内諸堂(5)瑞光院、大黒堂ほか - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第10回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18他 その10 境内諸堂(6)仁王門、慈悲の鐘ほか - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
これから使用する写真は特記がある場合を除き2023年1月18日に撮影したものです。
書写山円教寺の山上に室町時代に建立された三之堂(大講堂、食堂、常行堂)の
傍に姫路城主3人を含む本多家の墓所があります。
徳川四天王の1人本多忠勝公を祖とする本多6代の当主のうち5人の五輪塔が
5棟の堂内に収められています。 (本多忠勝、忠政、政朝、政長、忠国の五輪塔を安置)そのうち本多忠政、政朝、忠国が姫路城の城主となっています。
上の2枚の写真は本多家墓所の遠景と現地説明板
上の写真は右手が忠国公(忠勝公より6代目)、正面左手は政長公(忠勝公より5代目)の
廟屋です。忠勝公より4代目は政勝。
政長公の戒名は高松院殿法誉性信涼翁居士 延寶7年(1679)4月24日 享年47歳。本多政長廟屋(兵庫県指定有形文化財)は 貞享2年(1685年)に建立されました。
忠国公の戒名は徳崇院殿霊誉れ智天眞英大居士。 寶永元年(1704)3月21日 享年39歳。 本多忠国廟屋(兵庫県指定有形文化財)は 宝永元年(1704年)に建立されました。廟屋の仕様は宝形造(方形造)、本瓦葺、方2間
上の写真は右手が本多政朝公(忠勝公より3代目)、左手は本多家から初めて姫路城主と
なった本多忠政公(忠勝公より2代目)の廟屋です。本多忠政は関ヶ原の戦いや大坂の陣で活躍。姫路藩3代藩主池田光政が幼少のため鳥取藩に転封になったのち、桑名藩から15万石で入封した。
忠政公の戒名は大乾院殿秋誉長岳道悟大居士。寛永8年(1631)8月10日 享年57歳。本多忠政廟屋(兵庫県指定有形文化財)は 寛永8年(1631年)の建立。
政朝公の戒名は法輪院殿天誉紅雲龍澤大居士。寛永15年(1638)11月20日 享年39歳。本多政朝廟屋(兵庫県指定有形文化財)は 寛永15年(1638年)の建立。
政朝公の廟屋には生前からの約束で政朝に殉死した大谷三兵衛政明(戒名 :明誉道札居士)の
墓碑もあります。
上の写真の中央部が本多忠勝公の廟屋です。戒名は西岸院殿長誉良信大居士。
慶長15年(1610)10月18日 享年63歳。本多忠勝廟屋(兵庫県指定有形文化財)は 寛永3年(1626年)の建立。撮影:2009年6月28日
その左手には、廟屋に入っていないが、本多忠刻公(本多忠政の長男で千姫の婿殿
である)と忠刻公と千姫の長男 幸千代君(享年 3歳)の五輪塔があります。
本多忠刻公の戒名は 円泰院殿黄山蒼雄大居士。 寛永3年(1626)5月7日 享年31歳。
忠刻の伴には宮本三木之助=宮本武蔵の養子、宮田角兵衛(三木之助の伴)、
岩原牛之助(忠刻の伴)の切腹殉死者の墓碑がある。
本多家の墓所以前、この場所には元徳3年・元弘元年(1331)の焼失まで、五重塔が建っていた。さらに、宝蔵もあったとのこと。宝蔵については現地説明板があったので添付しておきます。(下の写真)
最後に食堂から見た本多家廟屋(5つのお堂)の遠景 (撮影:2009-6-28)を添付して筆を置きます。
というテーマで書いていきます。
書寫山圓教寺への過去の訪問は下記の3回です。
1)2009年6月28日 (日)
2)2016年1月18日(月)
3)2023年1月18日 (水)
書写山圓教寺 散策記シリーズ過去の記事
第1回 書写山圓教寺での修正会 鬼追い会式 on 2023-1-18 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第2回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その2 書写山の名前の由来 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第3回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その3 伝和泉式部歌塚塔と圓教寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第4回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18他 その4 椎名鱗三文学碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第5回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その5 境内諸堂(1)奥の院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第6回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18他 その6 境内諸堂(2)大講堂、常行堂、食堂 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第7回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18他 その7 境内諸堂(3)魔尼殿 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第8回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18 その8 境内諸堂(4)法華堂、鐘楼ほか - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第9回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18他 その9 境内諸堂(5)瑞光院、大黒堂ほか - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
第10回 書写山圓教寺 散策記 on 2023-1-18他 その10 境内諸堂(6)仁王門、慈悲の鐘ほか - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
これから使用する写真は特記がある場合を除き2023年1月18日に撮影したものです。
書写山円教寺の山上に室町時代に建立された三之堂(大講堂、食堂、常行堂)の
傍に姫路城主3人を含む本多家の墓所があります。
徳川四天王の1人本多忠勝公を祖とする本多6代の当主のうち5人の五輪塔が
5棟の堂内に収められています。 (本多忠勝、忠政、政朝、政長、忠国の五輪塔を安置)そのうち本多忠政、政朝、忠国が姫路城の城主となっています。
上の2枚の写真は本多家墓所の遠景と現地説明板
上の写真は右手が忠国公(忠勝公より6代目)、正面左手は政長公(忠勝公より5代目)の
廟屋です。忠勝公より4代目は政勝。
政長公の戒名は高松院殿法誉性信涼翁居士 延寶7年(1679)4月24日 享年47歳。本多政長廟屋(兵庫県指定有形文化財)は 貞享2年(1685年)に建立されました。
忠国公の戒名は徳崇院殿霊誉れ智天眞英大居士。 寶永元年(1704)3月21日 享年39歳。 本多忠国廟屋(兵庫県指定有形文化財)は 宝永元年(1704年)に建立されました。廟屋の仕様は宝形造(方形造)、本瓦葺、方2間
上の写真は右手が本多政朝公(忠勝公より3代目)、左手は本多家から初めて姫路城主と
なった本多忠政公(忠勝公より2代目)の廟屋です。本多忠政は関ヶ原の戦いや大坂の陣で活躍。姫路藩3代藩主池田光政が幼少のため鳥取藩に転封になったのち、桑名藩から15万石で入封した。
忠政公の戒名は大乾院殿秋誉長岳道悟大居士。寛永8年(1631)8月10日 享年57歳。本多忠政廟屋(兵庫県指定有形文化財)は 寛永8年(1631年)の建立。
政朝公の戒名は法輪院殿天誉紅雲龍澤大居士。寛永15年(1638)11月20日 享年39歳。本多政朝廟屋(兵庫県指定有形文化財)は 寛永15年(1638年)の建立。
政朝公の廟屋には生前からの約束で政朝に殉死した大谷三兵衛政明(戒名 :明誉道札居士)の
墓碑もあります。
上の写真の中央部が本多忠勝公の廟屋です。戒名は西岸院殿長誉良信大居士。
慶長15年(1610)10月18日 享年63歳。本多忠勝廟屋(兵庫県指定有形文化財)は 寛永3年(1626年)の建立。撮影:2009年6月28日
その左手には、廟屋に入っていないが、本多忠刻公(本多忠政の長男で千姫の婿殿
である)と忠刻公と千姫の長男 幸千代君(享年 3歳)の五輪塔があります。
本多忠刻公の戒名は 円泰院殿黄山蒼雄大居士。 寛永3年(1626)5月7日 享年31歳。
忠刻の伴には宮本三木之助=宮本武蔵の養子、宮田角兵衛(三木之助の伴)、
岩原牛之助(忠刻の伴)の切腹殉死者の墓碑がある。
本多家の墓所以前、この場所には元徳3年・元弘元年(1331)の焼失まで、五重塔が建っていた。さらに、宝蔵もあったとのこと。宝蔵については現地説明板があったので添付しておきます。(下の写真)
最後に食堂から見た本多家廟屋(5つのお堂)の遠景 (撮影:2009-6-28)を添付して筆を置きます。