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奈良市平城京跡地(三条三坊四坪)で大型建物跡見つかる 舎人親王邸か?

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奈良市の平城京跡(三条三坊四坪北東隅)の発掘調査で、奈良時代前期の大型掘立柱建物跡3棟が見つかった。奈良市教育委員会が2023年4月3日に発表した。テレビや新聞などで大きく報道されています。
報道例(日経新聞) 平城京跡で舎人親王邸? 一等地に大型建物跡見つかる - 日本経済新聞 (nikkei.com)    上記サイトに発掘現場の写真が掲載されています。
発掘した場所は奈良市大宮町4丁目の共同住宅建設予定地約370㎡で今年1~3月に調査された。調査地周辺は、「日本書紀」の編纂者として知られる天武天皇の皇子・舎人(とねり)親王(676~735)邸の有力候補地で、その主屋だった可能性がある。
以下、4月3日10ch読売TVのニュースtenで18時30分頃オンエアーの写真を使用して発掘調査の現状を纏めてみました。
上の写真は記者発表の会場で説明される奈良市教育委員会の担当者

 
上の写真は大規模な建物跡の遠景 発掘された建物跡は全部で5棟

3棟の建物跡は南北に並び、最も大きいと推定される北側の建物は、推定で東西約20m、南北は10m以上。掘立柱跡の方形の穴も確認されています。穴は一辺1.5mと巨大だった。
屋根には瓦が使われていた可能性があり、ひさしを設けていたとみられる。



上の2枚の写真は出土品の瓦など
発掘現場は左京三条三坊四坪の北と東を区画する条坊道路の交差点想定位置付近に当たり、建物の配置から四町分を一体として利用していたことが分かった。1町(坪)の1辺は130mであることから敷地は約260m四方と推定。4町宅地を班給されたのは三位以上の貴族に限られる。長屋王(二位)の邸宅は平城京の東南に隣接し、平城京三条二坊一・二・七・八坪(町)の4坪(町)分を占め約6万㎡もの広さがありました。

付近は当時の権力者・長屋王の邸宅もある平城京の「一等地」で、敷地はさらに広大で、高位貴族の宅地跡とみられる。720年に日本書紀を編纂した舎人親王(676-735)の邸宅とする説があり、説を補強する発見として注目されそうだ。




上の3枚の写真は奈良市大宮町4丁目の発掘現場
上の写真は発掘された建物の木材の一部
上の写真は建物基礎の穴の詳細
平城京跡条坊復元図奈良市役所の展示より

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