日本最初の電気鉄道(チンチン電車)は明治28年(1895)、京都の岡崎公園一帯で
開かれた博覧会への客輸送のため、明治28年(1895)2月1日に伏見(油掛通)と
京都駅(七条停車場)の間の6Kmの区間で開通しました。私鉄の京都電気鉄道(株)が運営。
京都市民に親しまれた市電は昭和45年(1970)まで走りました。線路幅は1067mm 。その狭い線路幅から「N電」(ナローのN) の愛称で親しまれました。
電気鉄道(チンチン電車)ができた背景ですが、京都では 琵琶湖疏水を利用した
蹴上水力発電所が 明治23年(1890)に完成し, その電力を利用して上述のとおり
明治25年(1892)に 日本で最初の営業路線となる電気鉄道 (電車) が開通した。
開通当初は、東海道線に踏切があって その南側が起点となっていたが 明治34年に
高倉跨線橋が完成して, 京都駅北側の路線と接続された。上の写真は京都市内を走るチンチン電車出典:日本図書センター「日本人」はじめて百科④産業・技術をうみだした人(2008)Page27
東京では馬車鉄道が盛んであったため路面電車の開通は遅れて明治36年(1903)に開業しています。日本で最初に電車を走らせたのは明治23年(1890)、藤岡市助で東京・上野で開かれた第3回内国勧業博覧会に電車を出品し、実際に走らせています。上の写真は藤岡市助が導入したアメリカ製の電車。わずか400mの区間を走っただけだが、反響は大きかったそうです。出典:日本図書センター「日本人」はじめて百科④産業・技術をうみだした人(2008)Page26
また、京都駅の北東側に電気鉄道事業発祥地の碑が設置されています。
2012年3月21日に写真を撮っていますので写真紹介します。上の写真は電気鉄道事業発祥地の碑 撮影:2012年3月21日
電気鉄道事業発祥地の碑は昭和50年(1975)2月1日に日本国有鉄道、京都市交通局、関西電力株式会社、阪急電鉄株式会社、京阪電気鉄道株式会社、近畿日本鉄道株式会社
阪神電気鉄道株式会社、南海電気鉄道株式会社、京福電気鉄道株式会社、
鉄道友の会京都支部の協力で設置されたようです。
碑に書かれている文章を引用させていただきます。
日本最初の電気鉄道はこの地に発祥した。
即ち明治二十八年二月一日 京都電気鉄道株式会社は 東洞院通り七条下る
鉄道踏切南側から 伏見下油掛通りまで 六キロの間に軌道を敷き
電車の運転を始めた。
この成功を機として 我が国電気鉄道事業は漸次全国に広がり
今日の新幹線電車にまで発展することになったのである。
よってその八十周年にあたり 先人の偉業を讃えてこの記念碑を建てる。
石碑には当時のチンチン電車の写真もありました(下の写真)ので掲載しておきます。
伏見下油掛通りにも昭和45年(1970)2月1日に碑が建立されているようです。
琵琶湖疎水事業は、京都府知事北垣国道の発意により、田辺朔郎工学博士を工事担当者として、
明治18年(1885)起工され、明治23年(1990)に竣工した。
一方、琵琶湖疎水を利用する蹴上発電所は当初の計画にはありませんでしたが明治21年(1888)に田辺朔郎と高木文平が米国コロラド州アスペンの
銀山で視察した水力発電に関心を持ち、導入が決定されました。この結果、電力は京都の産業復興や日本初の路面電車の誕生に大きく寄与しました。当初、蹴上水力発電所が稼働していないときは 路面電車も動かなかったようです。蹴上水力発電所については下記ブログで詳細に書いています。 蹴上(けあげ)発電所訪問記 on 2017-4-13 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
開かれた博覧会への客輸送のため、明治28年(1895)2月1日に伏見(油掛通)と
京都駅(七条停車場)の間の6Kmの区間で開通しました。私鉄の京都電気鉄道(株)が運営。
京都市民に親しまれた市電は昭和45年(1970)まで走りました。線路幅は1067mm 。その狭い線路幅から「N電」(ナローのN) の愛称で親しまれました。
電気鉄道(チンチン電車)ができた背景ですが、京都では 琵琶湖疏水を利用した
蹴上水力発電所が 明治23年(1890)に完成し, その電力を利用して上述のとおり
明治25年(1892)に 日本で最初の営業路線となる電気鉄道 (電車) が開通した。
開通当初は、東海道線に踏切があって その南側が起点となっていたが 明治34年に
高倉跨線橋が完成して, 京都駅北側の路線と接続された。上の写真は京都市内を走るチンチン電車出典:日本図書センター「日本人」はじめて百科④産業・技術をうみだした人(2008)Page27
東京では馬車鉄道が盛んであったため路面電車の開通は遅れて明治36年(1903)に開業しています。日本で最初に電車を走らせたのは明治23年(1890)、藤岡市助で東京・上野で開かれた第3回内国勧業博覧会に電車を出品し、実際に走らせています。上の写真は藤岡市助が導入したアメリカ製の電車。わずか400mの区間を走っただけだが、反響は大きかったそうです。出典:日本図書センター「日本人」はじめて百科④産業・技術をうみだした人(2008)Page26
また、京都駅の北東側に電気鉄道事業発祥地の碑が設置されています。
2012年3月21日に写真を撮っていますので写真紹介します。上の写真は電気鉄道事業発祥地の碑 撮影:2012年3月21日
電気鉄道事業発祥地の碑は昭和50年(1975)2月1日に日本国有鉄道、京都市交通局、関西電力株式会社、阪急電鉄株式会社、京阪電気鉄道株式会社、近畿日本鉄道株式会社
阪神電気鉄道株式会社、南海電気鉄道株式会社、京福電気鉄道株式会社、
鉄道友の会京都支部の協力で設置されたようです。
碑に書かれている文章を引用させていただきます。
日本最初の電気鉄道はこの地に発祥した。
即ち明治二十八年二月一日 京都電気鉄道株式会社は 東洞院通り七条下る
鉄道踏切南側から 伏見下油掛通りまで 六キロの間に軌道を敷き
電車の運転を始めた。
この成功を機として 我が国電気鉄道事業は漸次全国に広がり
今日の新幹線電車にまで発展することになったのである。
よってその八十周年にあたり 先人の偉業を讃えてこの記念碑を建てる。
石碑には当時のチンチン電車の写真もありました(下の写真)ので掲載しておきます。
伏見下油掛通りにも昭和45年(1970)2月1日に碑が建立されているようです。
琵琶湖疎水事業は、京都府知事北垣国道の発意により、田辺朔郎工学博士を工事担当者として、
明治18年(1885)起工され、明治23年(1990)に竣工した。
一方、琵琶湖疎水を利用する蹴上発電所は当初の計画にはありませんでしたが明治21年(1888)に田辺朔郎と高木文平が米国コロラド州アスペンの
銀山で視察した水力発電に関心を持ち、導入が決定されました。この結果、電力は京都の産業復興や日本初の路面電車の誕生に大きく寄与しました。当初、蹴上水力発電所が稼働していないときは 路面電車も動かなかったようです。蹴上水力発電所については下記ブログで詳細に書いています。 蹴上(けあげ)発電所訪問記 on 2017-4-13 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)