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加古川市平岡町山之上遺跡と潰目池 on 2016-11-26

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2016年11月26日(土)に表記の加古川市平岡町山之上遺跡、潰目池に行って
きましたので写真紹介します。

(山之上住吉神社の遠景 ご祭神:底筒男命、表筒男命、中筒男命、息長足姫命)

  (拝殿の前には文政12年(1829)銘の狛犬)

  (摂社 王子権現社)

  (摂社:左より船玉神社、厳島神社、土地神社、王子神社、大歳神社)

上の4枚の写真は加古川市平岡町山之上(やまのうえ)にある山之上住吉神社です。
ここの境内も山之上遺跡の一部であり2005年に15本のトレンチ調査が行われ
トレンチ5より大中遺蹟と同じような住居跡が、またトレンチ3から土器棺墓が
出土しています。

山之上遺跡について現地の説明板(下の写真)より引用させていただきます。



潰目池の池底からは、先土器時代(無土器時代又はプレ縄文時代ともいい、
縄文以前で、今から一万年以前、人間がまだ土器を造らず、石器のみで
生活していた時代)の人々が利用していた石器(宮田山式石器、井島式石器)が
発見されている。
このことから、昔はこの池も一面に木が生い茂り、当時の人々が生活の場として
使っていたことがわかる。
 また、この東に隣接して国指定史跡の大中遺跡(弥生時代後期 今から
1800年位以前の遺跡)があり、この住吉神社境内にも地続きであるため、
大中遺跡と同じ弥生時代の遺跡が埋蔵されているものと考えられている。

   平成11年 3月    加古川市教育委員会




上の2枚の写真は潰目池(つぶれめいけ)

潰目池(つぶれめいけ)の底から旧石器時代のサヌカイト製の道具が
昭和37年(1962)に発見されました。
発見者は大中遺跡を発見した3人の中学生の一人、朝原重利氏で
朝原氏が潰目池の底から採集してきたサヌカイト片の中に旧石器時代の
道具が含まれていることを当時大中遺蹟で発掘調査に来ていた明治大学の
学生が鑑定した。

昭和51年3月の調査で潰目池の底から20点ばかりの旧石器が発見された。
鑑定の結果、これらは約2万年前の石器であった。
旧石器の一部は、播磨町郷土資料館に展示されている。

2号線ゴルフセンターという名前の打ちっぱなしのゴルフ練習場があります。
すべてが池ポチャの練習場でここで練習をすると池ポチャモードになりそうです。
潰目池(つぶれめいけ)は江戸時代の「潰れ地切れ目の池」が変化したものと言われ
大中遺蹟や山之上遺跡が標高13m程度あるのに対して地盤が崩れて2m程度の
割れ目、裂け目ができて、そこに池が造られたのが潰目池の起源であると考える
意見があります。
昔潰目池で捕れた魚は全て目が潰れていたことからこのような名前が付いたという
伝説もあります。


上の写真は昭和41年10月から昭和49年3月に行われた団体営團場整備事業
の竣工記念碑です。裏面に詳細な事業内容が記載
山之上、好古田、大中の全域と本荘、野添の一部が対象地域で約4億円の事業費が
投じられた。


上の写真は潰目池改修前の様子が判るもの(大中遺跡の説明板より)


上の写真は住吉神社と昔潰目池の間の土地にあったお地蔵様です。
本来は六地蔵であったのが一基欠けています。
上記のように土器棺墓が出土されておりこの付近は昔の墓地であったことが
想定される。

平成21年2月18日~3月21日に兵庫県立考古博物館により山之上遺蹟の調査
が行われています。 10個のトレンチ調査。
この調査で平成13年に確認されていた幅3m深さ1m大きな溝の遺構が
再確認された。




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