昨日(2017-2-8)の飛鳥坐神社の「おんだ祭」のブログに続き
2016年12月22日に参拝した明日香村の飛鳥坐神社の境内を写真紹介します。
飛鳥坐神社の読み方は「あすかにいます」又は「「あすかにます」
飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)の基本情報
住所:奈良県高市郡 明日香村飛鳥707 TEL:0744-54-2071
御祭神:八重事代主神(やえことしろのかみ)
飛鳥神奈備三日女神(あすかのかんなびみひめのかみ)
大物主神(おおものぬしのかみ)
高皇産靈神(たかみむびのかみ)
創建:不詳
『日本書紀』朱鳥元年(686)7月の条に「奉幣 於居紀伊国国懸神
飛鳥四社 住吉大社」の記載ありこれより以前に創建
現在地に遷座:日本紀略には天長6年(829)に遷座と記載
上の写真は拝殿
上の写真は現地の説明板
上の写真は神楽殿・西良殿
毎年2月の第一日曜日にこちらでおんだ祭の神事が行われます
上の写真は鳥形山に鎮座の飛鳥坐神社の入口の鳥居と右手の飛鳥井
上の写真は飛鳥井と説明板
飛鳥井に宿りはすべし、をけかけもよし 御水もよし 御秣もよし 『催馬楽』
上の写真は手水舎
上の写真は神社側から飛鳥の集落を臨んだもの
上の写真は社務所
上の写真はむすびの木
上の写真は祓戸社
上の2枚の写真は万歌歌碑と説明板
上の2枚の写真も万歌歌碑と説明板
上の2枚の写真は歌碑と説明板
上の写真は境内社
上の写真は力石
上の写真は土産物や神社の縁起物を販売している小屋
当日は閉鎖していました。
上の写真は奥の祓い社
上の写真は折口信夫博士に由来の歌碑と説明板
民俗学・国学者であり、「死者の書」の著述で知られる折口信夫氏は、飛鳥坐神社の
宮司の家に養子に入ったこともあり、そのことを終生誇りに思っていたそうです。
説明板には81代宮司の飛鳥助信(1781-1859)を祖父にもつとの記述が見えます。
現在の宮司は87代目。
国文学者である折口信夫は飛鳥坐神社の神主家・飛鳥助信(飛鳥坐神社の神官の子
を意味する。母方の祖父)、造酒ノ介(彼はもと、大和の明日香村岡寺前の
岡本善右衛門の8男であったが、同地の古社飛鳥坐神社の累代の神主家飛鳥助信
の養子となった)の孫に当たる。
そのため、境内には釈超空(折口信夫)の歌碑があるというわけだ。
上の写真は新しい飛鳥山口神社
上の5枚の写真は境内社
上の2枚の写真は境内の陰陽石
上の写真は側道からみた飛鳥坐神社
2016年12月22日に参拝した明日香村の飛鳥坐神社の境内を写真紹介します。
飛鳥坐神社の読み方は「あすかにいます」又は「「あすかにます」
飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)の基本情報
住所:奈良県高市郡 明日香村飛鳥707 TEL:0744-54-2071
御祭神:八重事代主神(やえことしろのかみ)
飛鳥神奈備三日女神(あすかのかんなびみひめのかみ)
大物主神(おおものぬしのかみ)
高皇産靈神(たかみむびのかみ)
創建:不詳
『日本書紀』朱鳥元年(686)7月の条に「奉幣 於居紀伊国国懸神
飛鳥四社 住吉大社」の記載ありこれより以前に創建
現在地に遷座:日本紀略には天長6年(829)に遷座と記載
上の写真は拝殿
上の写真は現地の説明板
上の写真は神楽殿・西良殿
毎年2月の第一日曜日にこちらでおんだ祭の神事が行われます
上の写真は鳥形山に鎮座の飛鳥坐神社の入口の鳥居と右手の飛鳥井
上の写真は飛鳥井と説明板
飛鳥井に宿りはすべし、をけかけもよし 御水もよし 御秣もよし 『催馬楽』
上の写真は手水舎
上の写真は神社側から飛鳥の集落を臨んだもの
上の写真は社務所
上の写真はむすびの木
上の写真は祓戸社
上の2枚の写真は万歌歌碑と説明板
上の2枚の写真も万歌歌碑と説明板
上の2枚の写真は歌碑と説明板
上の写真は境内社
上の写真は力石
上の写真は土産物や神社の縁起物を販売している小屋
当日は閉鎖していました。
上の写真は奥の祓い社
上の写真は折口信夫博士に由来の歌碑と説明板
民俗学・国学者であり、「死者の書」の著述で知られる折口信夫氏は、飛鳥坐神社の
宮司の家に養子に入ったこともあり、そのことを終生誇りに思っていたそうです。
説明板には81代宮司の飛鳥助信(1781-1859)を祖父にもつとの記述が見えます。
現在の宮司は87代目。
国文学者である折口信夫は飛鳥坐神社の神主家・飛鳥助信(飛鳥坐神社の神官の子
を意味する。母方の祖父)、造酒ノ介(彼はもと、大和の明日香村岡寺前の
岡本善右衛門の8男であったが、同地の古社飛鳥坐神社の累代の神主家飛鳥助信
の養子となった)の孫に当たる。
そのため、境内には釈超空(折口信夫)の歌碑があるというわけだ。
上の写真は新しい飛鳥山口神社
上の5枚の写真は境内社
上の2枚の写真は境内の陰陽石
上の写真は側道からみた飛鳥坐神社