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藤原鎌足産湯の井戸と大伴夫人(鎌足の母)の墓 on 2016-12-22

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2016年12月22日、飛鳥坐神社に近い藤原鎌足産湯の井戸と大伴夫人
(鎌足の母)の墓を観てきましたので写真紹介します。

大伴夫人の墓

飛鳥坐神社の側道を上っていくとこんもりとした森が見えます。
これが藤原鎌足の母である大伴夫人の墓です。


上の写真が大伴夫人の墓とされる円墳の森
東西11m 南北12m 高さ2.4mの規模です。


上の写真は後世に建てられたと思われる墓碑


上の写真は入口よりみた森の遠景



上の2枚の写真は入口の説明板

藤原鎌足産湯の井戸






上の3枚の写真が藤原鎌足産湯の井戸の近景と遠景です。
大原神社の裏手の竹田川と呼ばれる小さな小川のほとりにあります。
760年頃に書かれた「大織冠伝」によると推古天皇22年(614)大和国高市郡
の人として藤原の邸宅に生まれたと記されています。
大原神社の隣接地には明治初年まで藤原寺が立っており江戸時代の後期に国学者の
本居宣長もこの地を訪れています。

藤原鎌足は乙巳の変(645)で中大兄皇子(のちの天智天皇)と共に謀り蘇我氏を
滅亡させ大化の改新を推進した。約1,000年続いた藤原氏の祖である。

Wikipediaより藤原鎌足(中臣鎌足)の基本情報を記載しておきます
改名:中臣鎌子→中臣鎌足→藤原鎌足

死去:天智天皇8年10月16日(669年11月14日)55歳

墓所:阿武山古墳、大織冠神社、談山神社

父:中臣御食子、母:大伴智仙娘

妻:鏡王女、車持与志古娘

子供:定恵、藤原不比等、氷上娘、五百重娘、耳面刀自、斗売娘


上の写真は藤原鎌足生誕の地跡と記された石碑(大原神社の入口にあります)


上の写真は現地の説明板


上の写真は大原神社の祠




上の写真は藤原鎌足の娘と天武天皇との間に交わされた万葉歌2首の石碑と説明板
藤原鎌足の娘は藤原夫人(ふぃじわらのぶじん)と呼ばれていました。
藤原夫人は五百重娘(いほへのおとめ)のこと。天武天皇との間に新田部親王を
もうけています。天武天皇が崩御した後、異母兄の藤原不比等に嫁ぎ、藤原京家の
祖となる藤原麻呂をもうけました。

天武天皇「わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後」。
藤原夫人「わが岡の おかみに言ひて 落らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ」

現代語訳:
天武天皇「わがこの里に雪が降ったぞ。そなたが住む大原の古ぼけた里に降るのは、
          ずっとのちのことだろう。」

藤原夫人「私が住むこの岡の水神に言いつけて降らせた雪の、そのかけらが
        そちらの里に散ったのでございましょう。」


天武天皇がいたとされる飛鳥浄御原宮と当地との距離は1Kmほどでご近所です








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