株式会社神戸デジタル・ラボとペタビット株式会社が開発した装置とソフトが
2017年3月29日(水)に兵庫県公館で開催された県政150周年記念先行イベント
”HYOGO150"スタートアップシンポジウムで披露されました。
私も早速Visual Reality(仮想現実)を体験させていただきました。
体験コーナーは「兵庫県150周年バーチャルツアー企画"Dive in Hyogo 4D"」
第3・4代の兵庫県庁(現在の兵庫公館)と兵庫勤番所の地にあった第1代兵庫県庁
の内部の部屋の様子や置物などが描かれていました。
上の写真は当日の様子です。
兵庫県の誕生から初期段階の兵庫県について簡単に記載します。
兵庫県の誕生までの推移
慶応3年12月9日(新暦換算1868年1月3日)王政復古が宣誓されて新政府
ができると明治政府は新しく開港した神戸と摂津・河内・播磨にあった幕府領の
村々を治めるために兵庫鎮台という役所を兵庫の町に置きました。
兵庫鎮台はその後、間もなく兵庫裁判所となり慶応4年5月22日まで続きます。
第1次兵庫県(明治元年(1868)~明治4年(1871))
慶応4年5月23日(新暦換算1968年7月12日に1次兵庫県が成立しています。
発足当時の兵庫県は兵庫(神戸)港を中心とした摂津国武庫郡以西の4郡及び播磨国
の7郡に散在する旧幕府直轄地で村の数は211、石高は6万6千石でした。
初代県令は伊藤博文で「兵庫論」と呼ばれる藩廃止の意見書を朝廷に提出
したことから長州藩の反感を買い知事を辞職します。
上の写真は当日のパネル展示より
第2次兵庫県(明治4年(1871)~明治9年(1876))
明治4年7月の廃藩置県により従来の大名領がそのまま県になりました。
明治4年11月には3府302件をすべて廃止し、3府72件に再編成された。
町村数609 人口14万8千人の県となりました。
このころ県知事となった神田幸平(蘭学者)は先駆的な施策を実行し「経済」という
言葉を初めて使用しました。
上の写真は当日のパネル展示より
第3次兵庫県(明治9年(1876)~明治22年((1889))
明治9年に明治政府は3府35県としました。
この年の8月に兵庫県は播磨県及び但馬全域と丹波の氷上・多紀の2郡名東県の
淡路を併合してほぼ現在の兵庫県に近い形となりました。
人口は134万5千人となりました。当時は東京府、大阪府をしのいでいました。
兵庫県の併合の過程で櫻井勉翁の米寿賀集の資料が貴重なものです。
この中に豊岡県と鳥取県を兵庫県に併合する案もあったことが記載されています。
上の写真は当日のパネル展示より
上の写真は県政150周年記念先行イベント”HYOGO150"スタートアップシンポジウム
の様子です。
2017年3月29日(水)に兵庫県公館で開催された県政150周年記念先行イベント
”HYOGO150"スタートアップシンポジウムで披露されました。
私も早速Visual Reality(仮想現実)を体験させていただきました。
体験コーナーは「兵庫県150周年バーチャルツアー企画"Dive in Hyogo 4D"」
第3・4代の兵庫県庁(現在の兵庫公館)と兵庫勤番所の地にあった第1代兵庫県庁
の内部の部屋の様子や置物などが描かれていました。
上の写真は当日の様子です。
兵庫県の誕生から初期段階の兵庫県について簡単に記載します。
兵庫県の誕生までの推移
慶応3年12月9日(新暦換算1868年1月3日)王政復古が宣誓されて新政府
ができると明治政府は新しく開港した神戸と摂津・河内・播磨にあった幕府領の
村々を治めるために兵庫鎮台という役所を兵庫の町に置きました。
兵庫鎮台はその後、間もなく兵庫裁判所となり慶応4年5月22日まで続きます。
第1次兵庫県(明治元年(1868)~明治4年(1871))
慶応4年5月23日(新暦換算1968年7月12日に1次兵庫県が成立しています。
発足当時の兵庫県は兵庫(神戸)港を中心とした摂津国武庫郡以西の4郡及び播磨国
の7郡に散在する旧幕府直轄地で村の数は211、石高は6万6千石でした。
初代県令は伊藤博文で「兵庫論」と呼ばれる藩廃止の意見書を朝廷に提出
したことから長州藩の反感を買い知事を辞職します。
上の写真は当日のパネル展示より
第2次兵庫県(明治4年(1871)~明治9年(1876))
明治4年7月の廃藩置県により従来の大名領がそのまま県になりました。
明治4年11月には3府302件をすべて廃止し、3府72件に再編成された。
町村数609 人口14万8千人の県となりました。
このころ県知事となった神田幸平(蘭学者)は先駆的な施策を実行し「経済」という
言葉を初めて使用しました。
上の写真は当日のパネル展示より
第3次兵庫県(明治9年(1876)~明治22年((1889))
明治9年に明治政府は3府35県としました。
この年の8月に兵庫県は播磨県及び但馬全域と丹波の氷上・多紀の2郡名東県の
淡路を併合してほぼ現在の兵庫県に近い形となりました。
人口は134万5千人となりました。当時は東京府、大阪府をしのいでいました。
兵庫県の併合の過程で櫻井勉翁の米寿賀集の資料が貴重なものです。
この中に豊岡県と鳥取県を兵庫県に併合する案もあったことが記載されています。
上の写真は当日のパネル展示より
上の写真は県政150周年記念先行イベント”HYOGO150"スタートアップシンポジウム
の様子です。