2017年1月25日からデザイン・クリエイティブセンター神戸KIITOにて神戸開港150周年記念
神戸港と神戸文化の企画展 「神戸・みなと・時空」が開催されています。
その中で、日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」の中で
神戸人形の展示と神戸人形の歴史の概要のパネル説明がありました。
小生は神戸人形の知識は皆無の状況でしたので上記KIITOでの展示内容を利用して
神戸人形についてまとめてみることにしました。
参照:神戸と外国文化 4 京都精華大学人文学部国内フィールドワーク報告書
京都精華大学人文学部呉研究室 1997 Page326-392
1.神戸人形とは
明治中期に現在の神戸市長田区で商店を営んでいた「長田の春さん」と呼ばれた男性が、
ろくろ首や三つ目のからくり人形を手作りしたのが神戸人形のルーツとされる。
「長田の春さん」の店の名前は野口百鬼堂?。
それよりも古い時代(1868年の兵庫開港の頃)淡路の人形師の中村某が神戸港の
黒人の船員を見て神戸人形を作ったのが最初という説もあるようです。
ユニークな仕掛けが特徴で、手のひらに乗る大きさの木製で、台座のつまみを回すと
内部の糸によって人形が動く。大正から昭和初期に主に外国向けの神戸土産として
盛んに作られ「お化け人形」と親しまれた「布引人形」という名前でも呼ばれていました。
昭和初期には作品全体が黒い色に塗られ「神戸人形」の名前が定着していきました。
ニュースサイトで読む: https://mainichi.jp/articles/20160825/k00/00e/040/164000c#csidx181f4edd0ec2af8a4b38996a661443f
Copyright 毎日新聞
上の写真は展示の説明パネル
2.神戸人形の歴史
(1)創始期の神戸人形
上の写真は創始期の神戸人形の説明パネル
上の2枚の写真は「長田の春さん」の作品
明治35年(1902)の頃には出崎房松(1883-1967)が登場し黒い色の人形も登場します。
上の作品は創始期の神戸人形の作品
(2)最盛期の神戸人形
上の写真は最盛期の神戸人形の説明パネル
小田太四郎(1883-1950)は親戚である出崎房松(前出)から技術を習い、外注などで
ある程度、量産をして外国人のお土産として布引の売店で売られたことから「布引人形」
の名前でも呼ばれた。神戸人形を有名にした功労者である。
(3)再現期の神戸人形
上の写真は再現期の神戸人形の説明パネル
副題に~数岡雅敦(喜八)・キヨシマ屋・神戸センター~
日本玩具博物館HPより引用しますが、
神戸人形は、太平洋戦争中に岡山へ疎開した小田太四郎によって戦後も作られますが、
小田の死(昭和25年(1950))後、しばらくは途絶えます。その後、昭和30年代中頃から、
神戸人形の復活に取り組む人が現れました。兵庫県加古川市に住む数岡雅敦(喜八)は、
古い神戸人形を分解研究するなどして、その再現に成果を上げました。昭和時代の神戸人形は、
数岡のほか、神戸市内の民芸店神戸センターと元町の玩具店キヨシマ屋が製作・販売を行い、
復元の形をとりながら伝承を受け継ぎました。数岡の作品は一体が8千円から8万円と高価で、
普及にも限りがありましたが、神戸センター製やキヨシマ屋製の作品は、数岡に比べて細工等の
質は落ちるものの安価で、普及版としての大きな役割を果たしました。
上の2枚の写真は最盛期の小田太四郎の神戸人形作品と戦後の作者・数岡雅敦(1928-1989)
の作品。数岡雅敦(喜八)は数百種に及ぶ神戸人形を精力的に製作しています。
上の写真はキヨシマ屋の神戸人形
上の写真は神戸センター製の神戸人形
(4)平成時代の神戸人形
副題に~ウズモリ屋と日本玩具博物館~
上の写真は平成時代の神戸人形の説明パネル
数岡雅敦の死後も細々と作られ続けてきた神戸人形は、平成7年(1995)の阪神淡路大震災を経て
廃絶してしまいます。海外から里帰りさせた創始期の作品をはじめ、600点に及ぶ神戸人形を所蔵
する日本玩具博物館では、神戸人形復活を期して、度々「神戸人形」をテーマとする企画・特別展を
開催してきました。また、平成15年(2003)からは藤尾秀久らと”日本玩具博物館版神戸人形”の
製作に取り組んできましたが、諸事情により平成26年(2014)に製作がストップしていました。
嬉しいことに、平成27年(2015)、神戸市在住で人形劇美術を専門とする吉田太郎氏が
神戸人形製作をひき継いで下さることとなりました。
”日本玩具博物館版神戸人形”には、「西瓜喰い」「酒飲み」「釣鐘お化け」「面冠り」の4種類が
ありますが、吉田太郎氏は、ウズモリ屋の名前で独自の神戸人形も製作されています。
上の写真はウズモリ屋・吉田太郎製の神戸人形
上の写真は神戸人形作家のウズモリ屋・吉田太郎の紹介パネル
上の写真はウズモリ屋・吉田太郎さんが手掛ける作品群の説明パネル
上の写真は神戸開港150年を記念して特別に製作されたウズモリ屋・吉田太郎の神戸人形作品
上の写真は2017年12月28日まで開催予定の「TOY & DOLL COLLECTION」の年間予定表
神戸人形の展示は6月14日から10月15日まで展示予定だそうです。
また、ウズモリ屋・吉田太郎氏の講演会が2017年6月25日(日)14:00~15:30
KIITOで行われる予定。参加してみようと思っています。
詳細は下記サイト:http://www.kobeport150.jp/event/img/kobeningyo.pdf
神戸港と神戸文化の企画展 「神戸・みなと・時空」が開催されています。
その中で、日本玩具博物館が企画した 「TOY & DOLL COLLECTION」の中で
神戸人形の展示と神戸人形の歴史の概要のパネル説明がありました。
小生は神戸人形の知識は皆無の状況でしたので上記KIITOでの展示内容を利用して
神戸人形についてまとめてみることにしました。
参照:神戸と外国文化 4 京都精華大学人文学部国内フィールドワーク報告書
京都精華大学人文学部呉研究室 1997 Page326-392
1.神戸人形とは
明治中期に現在の神戸市長田区で商店を営んでいた「長田の春さん」と呼ばれた男性が、
ろくろ首や三つ目のからくり人形を手作りしたのが神戸人形のルーツとされる。
「長田の春さん」の店の名前は野口百鬼堂?。
それよりも古い時代(1868年の兵庫開港の頃)淡路の人形師の中村某が神戸港の
黒人の船員を見て神戸人形を作ったのが最初という説もあるようです。
ユニークな仕掛けが特徴で、手のひらに乗る大きさの木製で、台座のつまみを回すと
内部の糸によって人形が動く。大正から昭和初期に主に外国向けの神戸土産として
盛んに作られ「お化け人形」と親しまれた「布引人形」という名前でも呼ばれていました。
昭和初期には作品全体が黒い色に塗られ「神戸人形」の名前が定着していきました。
ニュースサイトで読む: https://mainichi.jp/articles/20160825/k00/00e/040/164000c#csidx181f4edd0ec2af8a4b38996a661443f
Copyright 毎日新聞
上の写真は展示の説明パネル
2.神戸人形の歴史
(1)創始期の神戸人形
上の写真は創始期の神戸人形の説明パネル
上の2枚の写真は「長田の春さん」の作品
明治35年(1902)の頃には出崎房松(1883-1967)が登場し黒い色の人形も登場します。
上の作品は創始期の神戸人形の作品
(2)最盛期の神戸人形
上の写真は最盛期の神戸人形の説明パネル
小田太四郎(1883-1950)は親戚である出崎房松(前出)から技術を習い、外注などで
ある程度、量産をして外国人のお土産として布引の売店で売られたことから「布引人形」
の名前でも呼ばれた。神戸人形を有名にした功労者である。
(3)再現期の神戸人形
上の写真は再現期の神戸人形の説明パネル
副題に~数岡雅敦(喜八)・キヨシマ屋・神戸センター~
日本玩具博物館HPより引用しますが、
神戸人形は、太平洋戦争中に岡山へ疎開した小田太四郎によって戦後も作られますが、
小田の死(昭和25年(1950))後、しばらくは途絶えます。その後、昭和30年代中頃から、
神戸人形の復活に取り組む人が現れました。兵庫県加古川市に住む数岡雅敦(喜八)は、
古い神戸人形を分解研究するなどして、その再現に成果を上げました。昭和時代の神戸人形は、
数岡のほか、神戸市内の民芸店神戸センターと元町の玩具店キヨシマ屋が製作・販売を行い、
復元の形をとりながら伝承を受け継ぎました。数岡の作品は一体が8千円から8万円と高価で、
普及にも限りがありましたが、神戸センター製やキヨシマ屋製の作品は、数岡に比べて細工等の
質は落ちるものの安価で、普及版としての大きな役割を果たしました。
上の2枚の写真は最盛期の小田太四郎の神戸人形作品と戦後の作者・数岡雅敦(1928-1989)
の作品。数岡雅敦(喜八)は数百種に及ぶ神戸人形を精力的に製作しています。
上の写真はキヨシマ屋の神戸人形
上の写真は神戸センター製の神戸人形
(4)平成時代の神戸人形
副題に~ウズモリ屋と日本玩具博物館~
上の写真は平成時代の神戸人形の説明パネル
数岡雅敦の死後も細々と作られ続けてきた神戸人形は、平成7年(1995)の阪神淡路大震災を経て
廃絶してしまいます。海外から里帰りさせた創始期の作品をはじめ、600点に及ぶ神戸人形を所蔵
する日本玩具博物館では、神戸人形復活を期して、度々「神戸人形」をテーマとする企画・特別展を
開催してきました。また、平成15年(2003)からは藤尾秀久らと”日本玩具博物館版神戸人形”の
製作に取り組んできましたが、諸事情により平成26年(2014)に製作がストップしていました。
嬉しいことに、平成27年(2015)、神戸市在住で人形劇美術を専門とする吉田太郎氏が
神戸人形製作をひき継いで下さることとなりました。
”日本玩具博物館版神戸人形”には、「西瓜喰い」「酒飲み」「釣鐘お化け」「面冠り」の4種類が
ありますが、吉田太郎氏は、ウズモリ屋の名前で独自の神戸人形も製作されています。
上の写真はウズモリ屋・吉田太郎製の神戸人形
上の写真は神戸人形作家のウズモリ屋・吉田太郎の紹介パネル
上の写真はウズモリ屋・吉田太郎さんが手掛ける作品群の説明パネル
上の写真は神戸開港150年を記念して特別に製作されたウズモリ屋・吉田太郎の神戸人形作品
上の写真は2017年12月28日まで開催予定の「TOY & DOLL COLLECTION」の年間予定表
神戸人形の展示は6月14日から10月15日まで展示予定だそうです。
また、ウズモリ屋・吉田太郎氏の講演会が2017年6月25日(日)14:00~15:30
KIITOで行われる予定。参加してみようと思っています。
詳細は下記サイト:http://www.kobeport150.jp/event/img/kobeningyo.pdf