2017年11月12日と2018年1月21日に山陽電車の高砂駅に下車し
高砂駅の南の地区を散策してきました。初訪問です。
本日はその第10回目で「善立寺と天竺徳兵衛の墓」の写真を紹介します。
過去の散策記
第1回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その1 高砂神社
第2回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その2 十輪寺
第3回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その3 キャンドルカフェ記念チェアー しあわせの席「たかさご」
第4回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その4 堀川の風景
第5回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その5 北堀川界隈
第6回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その6 藍屋町の川地蔵
第7回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その7 申義堂(しんぎどう)
第8回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その8 国鉄高砂駅跡
第9回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その9 高砂公民館の美濃部達吉・亮吉親子文庫
高砂 善立寺の基本情報
住所:高砂市高砂町横町1096 TEL:079-490-3799
山号:七寶山 宗派:浄土真宗(西本願寺派)
御本尊:阿弥陀如来像 恵心(942-1017)作
開基、創建:正西坊(1477-1560)、永正8年(1511)4月8日
本堂再建:正徳3年(1713)4月8日
公式サイト:https://yaokami.jp/1286914/
公式FB:https://ja-jp.facebook.com/pages/善立寺/633850773342239
上の写真は七寶山 善立寺の本堂
上の2枚の写真は善立寺の由緒書き及び寺の宝物が書かれた現地説明板です。
上の写真は山門。背後は本堂。
500年以上の歴史を誇る立派な門構えである。
上の写真は鐘楼 背後の建物は高砂公民館
境内には天竺徳兵衛の墓があります・
上の2枚の写真は天竺徳兵衛、お墓の全体遠景と近景
墓石には宗心(徳兵衛)、妙法(徳兵衛の妻)、宗誓、妙超(嗣子夫妻)と
刻まれています。
さらに、命日の元禄八年(1695)八月七日が刻まれています。
上の写真は天竺徳兵衛の墓の現地説明板です。
上の写真は天竺徳兵衛の略歴が書かれた石碑
簡単に天竺徳兵衛(1612-1695)の略歴を記載しておきます。
天竺徳兵衛は慶長17年(1612)高砂町船頭町で生まれた。幼名は徳蔵。幼い頃から
海が大好きで泳ぎの達人であったほか学問にも熱心で十輪寺で読書や算術を勉強した。
寛永3年(1626)10月、15歳で京都角倉与一の船頭の前橋清兵衛の書役(書記)
として長崎よりシャムに渡り(397名乗船)、慶長5年(1628)長崎に帰ってきました。
寛永7年(1630)11月、オランダ人「ヤン・ヨーステン」の船に乗り再びシャムに渡航。
この時、山田長政に会ったといいます。寛永9年(1628)8月に長崎に帰還。
当時、朱印船は全国に9艘しかなく外国の様子を知る者は少ない状況でした。
朱印船の行き先は、台湾、マカオ、ルソン(フィリピン)、ベトナム、カンボジア、
シャム(タイ)、マレー等で、当時これらの国々は天竺と呼ばれました。
徳兵衛は、航海で見聞きしたことを「天竺物語」、「天竺渡海物語」で書き長崎奉行所
に献じ異国の文化を伝達しました。
江戸幕府は寛永10年(1629)から寛永13年(1632)に鎖国令を出し外国への渡航や交易
を禁止したため、徳兵衛が残した上記の見聞記は人々の大きな関心を呼び歌舞伎の題材と
なって「天竺徳兵衛聞書往来(ききがきおおらい)」、「天竺徳兵衛韓噺(いこくばなし)」
などが上演され大ヒット作となった。
このことで徳兵衛は天竺徳兵衛として有名になり郷土の名が全国に広がった。
帰国後、徳兵衛は大坂上塩町に住み盛大に外国商品店を営み、元禄8年(1695)8月7日
まで84年の生涯を閉じた。天王寺の一心寺と郷里高砂の善立寺に葬られました。
墓に宗心と記されているのは晩年に剃髪して宗心と号したことによる。
善立寺には徳兵衛が天竺から持ち帰り寺に寄進した「貝多羅葉(ばいたらよう)」
=芭蕉の葉に墨で書かれた経文の写本が残っているそうです。
神戸新聞2018年2月12日(東播)天竺徳兵衛の見聞録が冊子にという表題で
「天竺渡海道中記」に書かれている内容をまとめたもので市立図書館や公民館で
閲覧できるとのことです。
詳しくは下記サイト(神戸新聞)を参照してください。
https://www.kobe-np.co.jp/news/touban/201802/0010977047.shtml
物語では南十字星がきれいで感動したこと、山田長政にあったこと、米を1年に3度も
収穫できること、ヤシの水が旨かったこと等、が書かれています。
上の写真はうな高の2階の高砂資料館の天竺徳兵衛の説明パネル
高砂駅の南の地区を散策してきました。初訪問です。
本日はその第10回目で「善立寺と天竺徳兵衛の墓」の写真を紹介します。
過去の散策記
第1回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その1 高砂神社
第2回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その2 十輪寺
第3回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その3 キャンドルカフェ記念チェアー しあわせの席「たかさご」
第4回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その4 堀川の風景
第5回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その5 北堀川界隈
第6回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その6 藍屋町の川地蔵
第7回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その7 申義堂(しんぎどう)
第8回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その8 国鉄高砂駅跡
第9回 山陽電車高砂駅周辺の散策 on 2017-11-12&2018-1-21 その9 高砂公民館の美濃部達吉・亮吉親子文庫
高砂 善立寺の基本情報
住所:高砂市高砂町横町1096 TEL:079-490-3799
山号:七寶山 宗派:浄土真宗(西本願寺派)
御本尊:阿弥陀如来像 恵心(942-1017)作
開基、創建:正西坊(1477-1560)、永正8年(1511)4月8日
本堂再建:正徳3年(1713)4月8日
公式サイト:https://yaokami.jp/1286914/
公式FB:https://ja-jp.facebook.com/pages/善立寺/633850773342239
上の写真は七寶山 善立寺の本堂
上の2枚の写真は善立寺の由緒書き及び寺の宝物が書かれた現地説明板です。
上の写真は山門。背後は本堂。
500年以上の歴史を誇る立派な門構えである。
上の写真は鐘楼 背後の建物は高砂公民館
境内には天竺徳兵衛の墓があります・
上の2枚の写真は天竺徳兵衛、お墓の全体遠景と近景
墓石には宗心(徳兵衛)、妙法(徳兵衛の妻)、宗誓、妙超(嗣子夫妻)と
刻まれています。
さらに、命日の元禄八年(1695)八月七日が刻まれています。
上の写真は天竺徳兵衛の墓の現地説明板です。
上の写真は天竺徳兵衛の略歴が書かれた石碑
簡単に天竺徳兵衛(1612-1695)の略歴を記載しておきます。
天竺徳兵衛は慶長17年(1612)高砂町船頭町で生まれた。幼名は徳蔵。幼い頃から
海が大好きで泳ぎの達人であったほか学問にも熱心で十輪寺で読書や算術を勉強した。
寛永3年(1626)10月、15歳で京都角倉与一の船頭の前橋清兵衛の書役(書記)
として長崎よりシャムに渡り(397名乗船)、慶長5年(1628)長崎に帰ってきました。
寛永7年(1630)11月、オランダ人「ヤン・ヨーステン」の船に乗り再びシャムに渡航。
この時、山田長政に会ったといいます。寛永9年(1628)8月に長崎に帰還。
当時、朱印船は全国に9艘しかなく外国の様子を知る者は少ない状況でした。
朱印船の行き先は、台湾、マカオ、ルソン(フィリピン)、ベトナム、カンボジア、
シャム(タイ)、マレー等で、当時これらの国々は天竺と呼ばれました。
徳兵衛は、航海で見聞きしたことを「天竺物語」、「天竺渡海物語」で書き長崎奉行所
に献じ異国の文化を伝達しました。
江戸幕府は寛永10年(1629)から寛永13年(1632)に鎖国令を出し外国への渡航や交易
を禁止したため、徳兵衛が残した上記の見聞記は人々の大きな関心を呼び歌舞伎の題材と
なって「天竺徳兵衛聞書往来(ききがきおおらい)」、「天竺徳兵衛韓噺(いこくばなし)」
などが上演され大ヒット作となった。
このことで徳兵衛は天竺徳兵衛として有名になり郷土の名が全国に広がった。
帰国後、徳兵衛は大坂上塩町に住み盛大に外国商品店を営み、元禄8年(1695)8月7日
まで84年の生涯を閉じた。天王寺の一心寺と郷里高砂の善立寺に葬られました。
墓に宗心と記されているのは晩年に剃髪して宗心と号したことによる。
善立寺には徳兵衛が天竺から持ち帰り寺に寄進した「貝多羅葉(ばいたらよう)」
=芭蕉の葉に墨で書かれた経文の写本が残っているそうです。
神戸新聞2018年2月12日(東播)天竺徳兵衛の見聞録が冊子にという表題で
「天竺渡海道中記」に書かれている内容をまとめたもので市立図書館や公民館で
閲覧できるとのことです。
詳しくは下記サイト(神戸新聞)を参照してください。
https://www.kobe-np.co.jp/news/touban/201802/0010977047.shtml
物語では南十字星がきれいで感動したこと、山田長政にあったこと、米を1年に3度も
収穫できること、ヤシの水が旨かったこと等、が書かれています。
上の写真はうな高の2階の高砂資料館の天竺徳兵衛の説明パネル