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城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その16(最終回) 車瀬橋

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2018年6月17日、神戸電鉄を利用して三田へ出かけていました。
城下町 三田の街めぐりと題して過去15回、下記の記事を書いています。

本日はシリーズの第16弾(最終回)として「車瀬橋」を紹介します。

過去の記事へリンク
第1回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その1 三田天満神社

第2回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その2 天神公園の石碑と眺望

第3回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その3 金心寺

第4回 三田の街めぐり on 2018-6-17 その4 三田城跡

第5回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その5 元良 勇次郎 顕彰碑

第6回 三田の街めぐり on 2018-6-17 その6 川本幸民先生 顕彰碑

第7回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その7 三田藩主の菩提寺「心月院」

第8回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その8 心月院墓地

第9回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その9 三田博物館跡

第10回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その10 藩校造士館跡

第11回  城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その11 旧九鬼家住宅

第12回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その12 白洲退蔵出生地


第13回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その13 有馬会図書館跡

第14回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その14 日本キリスト教団 摂津三田教会

第15回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その15 三好達治少年期生育の寺 妙三寺

現在、武庫川に統一されていますが江戸時代には三田川又は車瀬川と呼ばれていました。

車瀬橋は江戸時代にこの付近で武庫川に架かっていた唯一の橋で丹波地方への街道筋だった。
また三輪神社と金心寺を繋ぐ参道でもあった。

三田城側に車瀬橋の歴史を記した石碑があったので添付しました。(下の写真)


説明書きとダブル部分がありますが車瀬橋の由来など歴史を記述していきます。
車瀬の語源については川の瀬の渦を巻いて流れる様子が車の輪に似ているからとの
説や三田城の前身、車瀬城の縄張りを行った山崎堅の家臣、車瀬政右衛門に由来する
との説があります。また車瀬という地名も残っています。
この辺は蛍の名所でもあり寛政8年(1798)刊行の摂津名所図会には、初夏に蛍が
飛び交う夕景色は宇治、石山の勝景に劣らない位美しいと紹介されています。
明治時代までは川の岸辺に草が生い茂っており、護岸には大小の石が積まれていて
川では子供達が泳いだり、水遊びをしたりしていた。
昭和初期までは幅が約4.2mの木の橋であったが度重なる洪水に見舞われたため
護岸工事に併せて、昭和59年(1984)現在のコンクリート製の橋が架けられた。




上の2枚の写真は車瀬橋から観た武庫川の上流と下流の景観です。

車瀬橋の見所の1つとして橋の中央部にある三好達治の詩碑があります。
三好達治は家庭の事情で6歳の時に三田の妙三寺の祖母のもとに引き取られ
小学校5年生まで三田小学校に通った。
抒情詩人としての原点は三田で過ごした幼少期に培われたものといわれている。

詩碑の題目は祖母でこの橋で祖母と共に蛍狩りをした思い出を綴っています。

祖母
祖母は蛍をかきあつめて
桃の実のやうに合せたての中から
沢山な蛍をくれるのだ

祖母は月光をかきあつめて
桃の実のやうに合せた掌の中から
沢山な月光をくれるのだ

当日、詩碑の写真を撮れなかったのでGoogleのストリートビューよりの写真を添付
しておきます。(下の2枚の写真)





これにて、第16回の記述は終了します。
これまで三田の街めぐりの記事を連載してきましたが見落とした場所も多く
今後、再訪して補充していきたいと考えています。

そこで、三田駅前で掲示の三田の8コースの見所の掲示を添付して終了とします。




















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