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館林藩主松平武元寄進の石燈籠 in 三木市大宮八幡宮 on 2020-2-2

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2020年2月2日、蓮花寺の鬼踊りを観るために三木市に出かけていました。
鬼踊りについては下記ブログを作成済
 三木市 蓮花寺の鬼踊り on 2020-2-2

午前中、表題の灯篭の写真を撮りましたので紹介します。

 

上の2枚の写真は館林藩主松平武元寄進の石燈籠と現地説明板

説明板に記載されているように灯篭は宝暦6年(1756)に寄進されました。

三木町は延享4年(1747)から上州舘林藩の飛び地領となり天保13年(1842)

までの約100年間支配が続きました。

灯篭の奉納者の松平武元は2代目の藩主でした。

旧玉置家住宅は文政9年(1826)に、上州館林藩の財政建て直し策を
図るため、切手会所(今の銀行)として建てられたことを始まりとしています。

松平武元についてWikipediaより略歴を引用紹介します。

常陸国府中藩3代藩主・松平頼明の次男として誕生。 
享保13年(1728年)、上野国館林藩2代藩主・松平武雅の養嗣子となり家督を相続、その直後に陸奥棚倉に移封された。
稲葉迂齋(稲葉正義、稲葉正誼とも)に師事する。延享3年(1746年)に西丸老中に就任し、上野館林に再封される。
延享4年(1747年)に老中、明和元年(1764年)に老中首座に就いた。 
徳川吉宗、家重、家治の3代の将軍に仕え、家治からは「西丸下の爺」と呼ばれ信頼された。
老中在任時後半期は田沼意次と協力関係にあった。老中首座は安永8年(1779年)死去までの15年間務めた。
武元死後は、四男・武寛が家督を継いだ。 


正徳3年(1713年)、誕生。
享保13年(1728年) 7月、松平武雅の継子となる。
          9月、養父武雅死去に伴い越智松平家相続。陸奥国棚倉5万4,000石に転封。
享保14年(1729年)12月16日、従五位下右近衛将監に叙任。
元文4年(1739年)9月1日、奏者番に就任。
延享元年(1744年)5月15日、寺社奉行を兼帯。
延享2年(1745年)5月28日、主計頭に転任。
延享3年(1746年) 
5月15日、西丸老中(徳川家治付き)となり、上野国館林5万4,000石に国替。右近衛将監に遷任。
9月1日、従四位下に昇叙。右近衛将監は元の如し。
延享4年(1747年) 
7月21日、侍従を兼任。
9月3日、西丸老中から本丸老中に転じる。
宝暦11年(1761年)5月16日、老中首座となる。
明和6年(1769年)12月1日、7000石加増、都合6万1000石

安永8年(1779年)7月25日死去。享年67。法名は天韶院勇山。
   墓所は東京都荒川区東日暮里の関妙山善性寺。

当日、大宮八幡宮の本殿の写真も撮っていますので添付しておきます。

(下の2枚の写真)


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